衝撃波の科学寄稿 高山 和喜 氏
第5回:衝撃波と地球惑星物理とのつながり
2006/10
40. 歴史は火山の大規模噴火の影響を受けた
1930年12月24日 東京朝日新聞に「惨死七百人、メラピの惨状」との見出で「バタヴィア(ジャヴァ)連合二十三日発 去る十八日突如噴火をなしたジャヴァ島のメラピ火山(図40-1)の噴火にはドイツの科学者ボルヘルト教授など貴い犠牲を出したが、この噴火による死者数は今日までに既に七百人の多数に達した。火山は未だ噴火中で危険区域の各村落に在住する住民は全部避難した。」との報道がある。
また、同年12月30日同新聞は メラピ火山の暴威 惨死者実に千三百名との見出しで「バタヴィア連合二十八日発 去る十八日、四十年間の沈黙の後突如大噴火を行ったメラピ火山の犠牲者数は捜査の進むに連れてますます莫大に上り、今や死者千三百名を計上するに至った。但し内数数百名は今尚行方不明の住民を含んでいるが、これらの人々は惨死を遂げたことは確実と見られる。メラピ山は依然溶岩を盛んに噴出しているが、既に付近の住民は完全に撤退したのでこの上の被害はない。」と報じている。
この噴火は、20世紀の火山噴火の最大規模のもので、また、昭和六年の地学雑誌604号には、ジャヴァ「メラピ」火山の爆発という見出しで「アムステルダム十二月二十六日発電報に依れば、ジャヴァ島のメラピ火山は去る十二月二十日大爆発をやった結果、降灰及び溶岩流に触れて惨死した者百五十名と伝えられて居たが,救助作業の進むにつれて、その数激増し、判明せる死者のみにても既に七百名に達した。此の外、行方不明者多数に及び、山麓八ヶ村は噴出物に埋められて、見る影もない惨状を呈して居る由である。由来ジャヴァ島は東西に火山が配列し、且人口周密度の大なる事世界に冠たるものであるので、其火山の爆発は屡々多数の人命を損傷して居る。今回のメラピ火山の爆発に依る人命の損傷は、一九一九年五月同島クラッド火山の火口壁が潰裂して約五千五百人の死者を出したのから見ればー此の災害が現今のジャヴァ島に於ける火山研究所の設立を促したのであるがー小災害ととも言えようが世界他地方には希に見る大災害と言はねばならぬ。メラピ火山は中央ジャヴァにあり。海抜高度二、九六八米。その山麓には多数の都市部落発達し、ジャヴァでも人口密度の大なる地方である。メラピ火山の火口直東約八キロには人口十二万を有するソロ、南西方六キロには人口八万を擁するジョクジャ・カルタの大都市あり。山麓一帯はココ、砂糖の有数な栽培地で、大小の部落が点在している。詳報に接しない中は明らかでないが、然し少くも此の人口の多い地方で、爆発をやったのであるから、命の損傷される度合いも激しい事は想像出来る。メラピ火山の山麓にはジャヴァの旧文化を伝えるブロモドールの大仏跡がある。此の世界的の旧跡の損傷が如何と気づかはれる(渓友一)」と言う小文が掲載されている。
これらは1930年12月の新聞記事や1931年の地理学会の原文引用で日本語表現の進化や、インドネシアがオランダ領だったことなど時代の変化にも気付くが、このメラピ火山の噴火が歴史的な大爆発で、近代史に大きな影響を与えるものであるなどの認識はない。浅間山(図40-2)もこの年に記録に残る大噴火し、二つの火山噴火は連動して世界的な気象異常が起こったと想像できる。火山灰は成層圏に舞い上がり太陽光を遮り、日照不足で北日本には大凶作が起こった。その結果、東北地方の農村では、娘の身売りなど一家離散の悲劇が至るところで起こった。農村から招集された兵隊は悲惨な親元の現状を嘆いた。当時の常識ではこの悲劇は政治の貧困が原因で、メラピ火山と浅間山の噴火が原因で地球規模の異常気象のせいとは想像もできなかった。国際的な軍縮の機運と国際政治の動向が日本に逆風となったことに連動して、陸軍には、現状に不満を訴える兵隊の気持ちに支援されたのだろうか、中級将校の間に世直しクーデター計画が芽生えては露見して制圧されたが、ついに1932年5月15日ついに5・15事件が起こった。クーデターの動機は満州事変と微妙に重なっているが、政府にも軍指導者にも、この事件を根元から禍根を断つリーダーシップを発揮する人もいなかった。さらに、このクーデターを陰から扇動する人物がいたなど、5・15事件はうやむやのうちに終わった。日本人は「和を持って尊しとする」とする聖徳太子の17条の憲法を最良の解決と考えるのか、日本人の情緒に引きずられた幕引きは2・26事件を許し、ずるずると中国大陸に戦火を広げ、果ては太平洋戦争に突入した。ここでは「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理屈を述べている。歴史は主として後世政治や経済活動から時代変化の糸を解きほぐそうとするが、経済や社会の動きは農業生産に強く影響され、それは、また、火山噴火などに支配される。だから、火山の大規模噴火が日本近代史に大きな影響を与えたと言うことになる。
また、つい最近、メラピ火山が活動を開始した。溶岩ドームが崩れ落ちて発生する破壊的な火砕流と多くの人が避難するテレビ画像を見た。この火山噴火がなにごともなく収まることを願っている。
1783年、浅間山の天明大噴火、アイスランドのラキ火山噴火とカムチャッカでの大噴火が競合して、火山灰が成層圏に達して日照不足を引き起こし、北半球に未曾有の凶作が起った。食糧不足はフランスでも起こり、パリ市民が「パンを与えよ。」と王宮に迫ったら、王妃は「お菓子を食べよ。」と言ったとか。マリーアントワネットはそのような暴言は口にしなかったと聞くが、社会不安を激化して、1789年遂にフランス革命が起こった。太陽のフレアー爆発や火山噴火などの自然現象には人間が関与できないし、制御など思いもよらず甘んじてその影響を受けるだけである。
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