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アンテナの歴史と未来 寄稿 安達 三郎 氏

第3回:探究

9. 大戦中のレーダの開発

 レーダとはRadio Detection and Ranging の略で、対象物からの電波の反射を測定することによって対象物を探知し、その位置を検知することを指す。1930年代に入った頃、世界各地では電波が航空機にあたって反射され受信機に反応が現れることに気付いていた。これを航空機の管制や兵器として利用できないものかと研究をはじめていた。

 米国シグナルコー研究所は1937年対航空機地上レーダSCR-268を開発した。用いた周波数は195-215MHz、パルスのピーク電力が50-75kW(真空管式)、利得20dBのビームアンテナを使用したもので、最大探知距離は37kmであった。日本軍が1942年シンガポールを占領した際、米国と英国の類似の地上固定式電波警戒機と移動式の対航空機用電波標定機を1組づつ、操作説明書と共に捕獲した。このレーダには八木・宇田アンテナが使われているのを知り軍部や科学者、技術者は愕然としたと伝えられている(佐藤源貞博士覚書:八木アンテナに関する秘話―シンガポール陥落とニューマン文書)。

 上記のレーダは米軍では当時すでに旧式なものになっていたようで、1944年にはこれよりはるかに高性能なSCR-584が実戦に配備された。波長帯は10-11cm、パルスのピーク電力は300kW(キャビティマグネトロン)、1.8mパラボラアンテナを使用、最大探知距離64km(ヘリカルスキャニングによる)、個別機の追尾可能距離29km(コニカルスキャニングによる)の性能を有していた。

 日本軍も戦況が不利になるにつれてレーダの必要を痛感し、岡部の4分割陽極型マグネトロンを用いた10cm帯のレーダを完成したかに見えたが、時既に遅くその効果を試す機会はほとんど無かったのである。

図15:レーダの基本構成 図15はレーダ装置の基本動作をブロック図にして示したものである。送信アンテナと受信アンテナは共用しており、T/Rスイッチで送信機と受信機に切り換わるように工合されている。

 以上述べてきたように、マイクロ波技術は第2次世界大戦中の米英の軍事目的を推進力として急速に発展した。そしてこれらの技術が基になって戦後の陸上長距離マイクロ波無線通信網の構築に花開いたと言っても過言ではない。レーダ技術はその後今日に到るまで発展を続けており、航空機管制や海上船舶の航海用レーダとして、また気象レーダ等々民需用としても広く利用され人類社会の福祉に大いに貢献してきているのである。

 大戦中の急速なマイクロ波技術の発達を支えたのは、MITの放射研究所を中心とした米英両国の科学者技術者の総力を挙げての基礎研究であったのである。戦後になって、放射研究所からはこれら基礎的研究成果が放射研究所シリーズとして刊行され、長い間マイクロ波研究者にとってのバイブルの役目を果たした。

 次に、マイクロ波技術にとってかけがえの無いマイクロ波アンテナ技術について述べることにする。


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