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国立研究開発法人物質・材料研究機構
構造材料研究拠点
上席研究員 大沼 郁雄 様
1968年、宮城県生まれ。1993年、東北大学大学院修士修了後、助手を経て、2000年に工学博士になり、2006年より同大学院工学研究科で准教授を務める。2015年より、国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)に入所。2017年、NIMS構造材料研究拠点のグループリーダー、2019年より同拠点の上席研究員として活動。現在は、構造材料はもとより、磁性材料や高エントロピー合金など幅広い合金を対象に、熱力学・状態図に関する研究を手掛けている。
物質・材料の基礎・基盤的研究開発が行われている、茨城県つくば市にある国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)。私たちの生活に欠かせない物質や材料に関する研究や開発が行われています。建築物やモビリティなどの社会インフラを支える構造材料や、カーボンニュートラルに向けた電動化に伴い、重要となる磁性材料の分野で研究を続けているのが大沼郁雄氏です。大沼氏には助手時代から現在まで、30年近くに渡り、状態図の計算ソフトウェア:Thermo-Calcを、種々の材料開発・解析に活用いただいています。今回は大沼氏に、研究開発への同ソフトウェアの活用経験から、その有用性についてお伺いしました。
『こころで見なくちゃ,ものごとは見えないってことさ.かんじんなことは,目にみえないのだよ.』 サン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくる言葉です。これは、私の大学時代の恩師である西澤泰二先生がしばしば使っていた言葉で、西澤先生が書かれた熱力学の教科書の序章にも書かれています。Thermo-Calcでできることは、まさにこの通りのことだと思います。元素としての物質を材料にするために、溶かして、固めて、加工して、熱処理をしてという工程を経ているのは、ご存じの方が多いと思います。その工程の最中に、材料内部では、いろいろなことが起きているのです。起きた結果は、X線や高精度な電子顕微鏡などを使えば、原子レベルで見えるようになっています。しかし、そのような現象を引き起こす原因となるエネルギー的なもの、すなわち熱力学は見ることができません。熱力学を理解して、応用することが、材料開発には非常に重要になるのです。
例えば、金属を組み合わせて合金を作る時に、圧力のかけ方や温度の変化によって、どのようにそれぞれの元素が融合し、形を変えていくのかは、人間の目では追うことができません。その材料の物性を、グラフとして表わすのが状態図です。状態図は熱力学に立脚しており、その状態図を分析することで、このような目に見えないものを、理解して応用することができます。そして、対象とする金属材料の組織が温度や熱処理により、どのような影響を受けるのかという指針を与えてもくれます。状態図を作る上で欠かせない役割を果たしているのが、熱力学計算ソフトウェア:Thermo-Calcなのです。
Thermo-Calcは、スウェーデン王立工科大学のBo Sundman教授らによって1970年代半ばから研究が進められていました。私が東北大学に進学した1987年には、すでに熱力学の分野では広く知られていました。
研究室配属では、西澤先生の材料組織学の研究室を選択しましたが、すでにThermo-Calcを導入されていました。ただし、当時は学生が簡単に操作できるソフトウェアではありませんでした。修士課程修了後に助手となり、スウェーデン王立工科大学に留学したことが状態図の計算ソフトであるThermo-Calcを使用し始めたきっかけです。
留学先はThermo-Calcを開発されたSundman先生の研究室で、先生のお弟子さんに師事することになりました。留学中に熱力学や状態図に関する研究に取組み、Thermo-Calcを使った計算状態図や、熱力学データのアセスメントなど、本格的に研究へと活用し始めました。当時の留学先研究室で、開発していた規則-不規則変態の熱力学モデルを活用し、鉄関係の合金で規則-不規則変態や磁気変態などのモデリングが最初の取組みでした。
I.Ohnuma, O.Ikeda, R.Kainuma, B.Sundman and K.Ishida, "Interaction between Magnetic and Chemical Ordering using Compound Energy Model.", Z. Metallkunde, 89 (1998), 847-853.
Thermo-Calcの登場により、材料開発手法は変わったといえます。Thermo-Calcが登場する以前は、状態図は2元系や、数は少ないですが3元系の状態図集として文献など記載されており、それらを“見る”だけのことが多かったのですが、任意の温度・組成・合金系で自ら状態図を計算し、描画できるようになったことで、状態図を“活用する”ことができるようになりました。学生の頃は、特定のワークステーションでのみ動作し、誰でも簡単に使えるものではありませんでしたが、90年代には汎用的なソフトウェアとなりました。これは、Windows PCの普及により、ソフトウェアの敷居が低くなったことが要因として大きいです。現在の計算速度に比べると比較にならないですが、それでも当時は十分に満足する現実的な範囲で計算ができていました。
Thermo-Calcの魅力としては、データベースの種類の豊富さが挙げられます。鉄系をはじめ、様々な合金系のデータベースが揃っている点や、毎年のようにアップデートが行われ、データの追加・再評価や計算機能の追加が行われています。ほかにも、大学の教育に活用できることも挙げられます。状態図の背景にある熱力学への理解を深めるためのツールとして有用です。
状態図に関する実験研究や熱力学解析を通して、種々の研究成果が得られています。実験のみでは解明困難な現象に対し、Thermo-Calcを活用して得られた成果もあります。
Fe-Ni(鉄・ニッケル合金)の事例では、特定の温度条件下では規則的な組織構造が生成しうることを、計算状態図で示すことができました。計算状態図ならではの使い方の良い例で、安定な相平衡だけではなく準安定、すなわち特殊な環境や条件において生成しうる相分離や化合物生成といった現象を予測することを示した事例です。
Co-Al-W(コバルト・アルミニウム・タングステン合金)は、コバルト合金の研究で、ニッケル基合金と同様の組織がコバルトでも生成しうることを発見した事例です。学術雑誌『Science』で発表され、国内のみならず、海外でも注目されています。実際に、タービンブレードなどの耐熱材料用途のほか、摩擦攪拌接合のツール材料用途としての開発も行われています。
Cu-Fe(銅・鉄合金)に関しては、状態図を作成する実験過程で、たまたま鉄リッチ相と銅リッチ相がそれぞれ外側あるいは中心部になるようなコア-シェル型の興味深い材料組織が得られました。そして、Thermo-Calcを使うことによって、Cu-Feと同じような形を持つ状態図を探して実験すると、同様の材料組織を設計できることがわかりました。この技術が自動車の部品開発にも活用されています。
図にあるのは、私たちNIMSと東京大学の阿部英司教授らと共同で研究したマグネシウム合金のLPSO構造(長周期積層構造)事例です。アルミ合金より軽くて、高強度を有する次世代の新合金としてマグネシウム合金が注目されております。対象とするマグネシウム合金は、亜鉛(Zn)とイットリウム(Y)などを添加した合金ですが、添加元素の量と種類によって、材料組織と材料特性は大きく変わります。研究を通して、状態図およびTQ-Interface(Thermo-Calcのプログラミングインターフェース)なども活用し、合金組織で見られるLPSO構造と呼ばれる特異な組織の形成メカニズムを解明してきました。
LPSO構造は、局所的にfcc構造を持つ積層欠陥が、hcp構造内に周期的に形成された組織形態を有し、ZnとYが濃化したfccの積層欠陥においては、L12型のZn6Y8クラスターが規則的に形成されます。対象とするマグネシウム合金の523 Kおける状態図を図(a)に示しますが、状態図で示される組織および組成の情報を基に、元素添加量による一連の組織変化が図①~③となります。このように計算状態図を活用することで、実験研究のみでは解明が困難なメカニズムを、熱力学に基づき効率的に解析することができます。
Fe-Ni:
I.Ohnuma, S.Shimenouchi, T.Omori, K.Ishida, R.Kainuma, "Experimental determination and thermodynamic evaluation of low-temperature phase equilibria in the Fe-Ni binary system", Calphad, 67 (2019), 101677.
Co-Al-W:
J.Sato, T.Omori, K.Oikawa, I.Ohnuma, R.Kainuma and K.Ishida, "Cobalt-Base High Temperature Alloys", Science, 312 (2006), 90-91.
Cu-Fe:
C.P.Wang, X.J.Liu, I.Ohnuma, R.Kainuma, K.Ishida, "Formation of immiscible alloy powders with egg-type microstructure", Science, 297 (2002), 990-993.
LPSO:
M.Egami, I.Ohnuma, M.Enoki, H.Ohtani, E.Abe, "Thermodynamic origin of solute-enriched stacking-fault in dilute Mg-Zn-Y alloys", Materials and Design, 188 (2020), 108452.
近年はDX(デジタルトランスフォーメーション)の提唱により、計算科学や情報科学といった技術を活用し、材料開発を高効率化する試み:MI(マテリアルズ・インフォマティクス)が行われています。状態図のデータはそれほど多く存在するわけではなく、容易に取得できるものでもありません。状態図のデータ取得の高効率化のために、AIなどを活用して、実験すべき条件候補を挙げたり、計算結果を利用して実験状態図では取得困難なデータを補ったりといった取り組みがあります。取得すべきデータ候補の分析や、得られたデータをどのように処理するかが専門家の腕の見せ所です。
これまで、状態図は材料開発を効率よく進めていくうえでの基盤となっていました。取り組み事例で挙げるように、耐熱性に優れ、熱効率に優れた新しい耐熱材料や、高強度でありながら軽量な構造材料の開発などに取り組み、エネルギーや環境といった持続可能な社会への実現に向けた研究を行ってきました。しかし、昨今は「ゲームチェンジングテクノロジー」による低炭素社会の実現へ向けて、科学技術を最大限に活用し、社会を一変させる革新的な技術が求められています。実際に、材料のリサイクルや、別の目的で再利用をするリパーパスといった課題に関する相談を受けたこともあります。今後は、リサイクルや太陽光発電、蓄電池といった分野にも、より積極的に熱力学及び状態図を活用することも検討していきたいです。
Thermo-Calcに関しては、材料開発において汎用的ソフトウェアとして普及しており、大学の学生時代に使用し、その後、素材や製造業のメーカーに進み、研究を続けられる方も多くなっています。CTCに対しては、Thermo-Calcに代表される熱力学分野以外にも、IT技術を中心とした多くの強みがあると感じています。材料開発の基礎となる熱力学とIT技術を活かし、企業や研究機関の材料分野に携わる研究者の不足する技術や知識を補うような技術提案やデジタル化を通して、材料開発におけるDXやMIを推進し、材料分野の発展に力を貸していただきたいと思っています。
Thermo-Calcは、金属材料の研究・開発に携わられている方には、“初めて聞いた”という方は少なく、“聞いたことがある” “社内で使っている人がいる”程度には浸透しています。広く浸透した背景には、1981年に開発されて以来、ソフトウェアのアップデートや汎用コンピュータの普及以上に、ユーザーのみなさまの貢献が大きいと強く感じます。学会発表や論文投稿などを通して、ソフトウェアの有用性や、活用例を示していただいたからこそ、多くの方々に広く使っていただけるソフトウェアになりました。
また今回のインタビューでは、環境負荷やカーボンニュートラルを研究テーマとすることが多く、“ゲームチェンジングな材料開発が求められる”こともお伺いしました。単純に性能が良いものを開発すればよいわけではなく、今までは使えていた原料は環境負荷が大きいから使えない、リサイクル性が悪いので使えないなど厳しい要求も考慮しなくてはいけないということです。
弊社も持続可能な社会に向け、高い障壁を乗り越えられるよう少しでも材料の研究開発に従事されるみなさまのお役に立てるようなサポートをさせていただきます。