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国立大学法人 九州工業大学大学院 工学研究院 材料物性情報学研究室 長谷部 光弘 教授 様合金開発の基礎となる状態図の研究を通して
新時代に求められるニューマテリアル開発を支える

お話を伺った方

長谷部光弘教授長谷部光弘(はせべ みつひろ)教授

九州工業大学大学院工学研究院物質研究系材料開発部門 教授


昭和22年福井県生まれ。昭和44年 3月 東北大学工学部金属工学科 卒業。昭和49年東北大学大学院工学研究科博士課程金属材料工学専攻 単位取得満期退学。東北大学工学部 助手を経て昭和57年 ~58年 Newcastle 大学(豪)工学部金属工学科 客員研究員。昭和61年九州工業大学工学部 助教授。平成 9年 8月から教授。現在、九州工業大学大学院工学研究院物質研究系材料開発部門 教授。日本金属学会会員。日本鉄鋼協会会員。軽金属学会会員。The Minerals, Metals & Materials Society 会員。学振第172委員会状態図研究会委員
平成16年7月~平成18年6月まで軽金属学会九州支部長。平成20年4月から日本金属学会九州支部長を務める。工学博士(東北大学)。

今年創立100周年を迎えた九州工業大学は、工学部・大学院工学府/研究院のある戸畑、情報工学部・大学院情報工学府/研究院のある飯塚、大学院生命体工学研究科のある若松の3つのキャンパスがあります。工学部および大学院工学研究院物質工学系の材料物性情報学研究室では、新しいマテリアルを開発・研究していくための合金設計に欠かせない「状態図」をコンピュータ計算でシミュレーションする研究を行っています。今回は我が国における状態図研究の第一人者である材料物性情報学研究室の長谷部光弘教授に状態図および状態図計算の業界標準ソフトウェアとされる「Thermo-Calc」についてお話を伺いました。

“合金の地図”と言われる「状態図」をもとに
シミュレーションで最適な合金を生み出す

Thermo-Calcによる平衡状態図の例:鉄-炭素系 Thermo-Calcによる平衡状態図の例:
鉄-炭素系
私たちが日常的に使っているさまざまな製品から宇宙開発まで、そこに使われている材料の多くは、合金や化合物で作られています。また、近年は環境や健康問題から従来使用されていた合金が使用できなくなり、それに代わる新しい合金の開発も求められるようになってきました。
新しい合金を設計するには、その合金が用いられる環境下でどのような状態(固体、液体、気体)になるかなどを知ることが極めて大切です。こうした材料 の温度、圧力、組成をパラメータとして合金の状態を表した図が「状態図」と呼ばれています。
例えば、新しい合金をつくる場合、複数の元素をどの割合で混ぜ合わせ、どの程度の温度になったとき、それぞれの元素のどの部分がどの割合で気体、液体、固体になるのか、溶けた部分はどういう組成かを知ることが必要です。近年、新しい超伝導材料や熱電変換材料などの研究が行われていますが、それらは従来の元素に第2、第3の成分を加えるなどたくさんの元素から構成されます。状態図はそういうときの基礎資料となるものであり、知識として状態図があればかなり解決できるのです。
Thermo-Calcは、正則溶体モデルなど豊富な計算モデルと充実したデータベースで、多元系状態図の作成や純物質・化合物・液相の熱力学計算などさまざまな分野に適用できる統合型の熱計算や状態図計算機能が備わった画期的なソフトウェアで、従来、実験をしなければ得られなかったデータをシミュレーションできるもので、材料科学、合金開発などにいまや欠かせないツールとなっています。
昔の材料の研究は、まず状態図を研究し、それから個々の物性を調べるという手順が必要でした。状態図研究が進むうちに初歩的なデータが蓄積されるようになり、徐々にそれらのデータを使うようになってきました。いまは基本的な元素の状態図はハンドブックにまとめられ、それを利用できるようになりました。状態図は合金やそのミクロの組織をデザインするための基本となる図で、いわば山登りにおける地図のようなものであることから“合金の地図”とも言われています。状態図があれば、ある合金に別の元素を加えると融点が低くなるのか高くなるのかがわかるため、新しい材料を効率よく開発することが可能になりました。
このため本学工学部マテリアル工学科では、学生がまず状態図を利用できるようにするために、状態図に特化した科目が3科目あります。他大学が1科目の中の一部で教えているのに対し、状態図の教育にここまで力を入れているところは他にありません。本研究室では、理論や経験則に基づいて状態図をコンピュータシミュレーションする研究を行っている他、シミュレーションを積極的に利用して、新しいマテリアルの開発や材質予測、組織解析などを教育・研究しています。
具体的には、学部では最初の1、2科目は入門から状態図を使うことまでの基礎知識を学び、3科目目でThermo-Calcを使い、10テーマ程度の演習を行っています。Thermo-Calcは非常に使いやすいソフトウェアで初めての人もそう抵抗なく使うことができると思いますが、Thermo-Calcを使うには基礎である熱力学をまず理解する必要があるので、熱力学の教育にも力を入れています。
また、私が担当する大学院の講義では半分はThermo-Calcを使った演習が占めており、Thermo-Calcを使いさまざまな状態図計算を行うとともにThermo-Calcを使った新しい計算手法の教育研究を行っています。

状態図研究に不可欠なツール
Thermo-Calc

Thermo-Calcは、スウェーデン王立工科大学で開発され世界で最も多く利用されている統合型熱力学計算ソフトウェア&データベースシステムです。
状態図の裏には熱力学的な平衡状態というものがあります。Thermo-Calcは、熱力学的な平衡状態の計算から平衡状態図を作図します。Thermo-Calcが出現する前は、まず平衡状態を計算するプログラムをつくることから始めなければなりませんでした。計算が複雑でいろいろな工夫も必要であったため最終的な結果が求めにくく、研究者は皆さん大変苦労されていました。それに対しThermo-Calcは、早い段階で誰にでも正しい答えを容易に導き出すことができるという画期的なソフトウェアです。
私がThermo-Calcに初めて出会ったのは、いまから20年ほど前です。Thermo-Calcの 中心的な開発者であるSundman教授が日本に研究員として2年間滞在しているときに、学会でIBMのOS/2に載せてデモをしました。このときの驚きはいまも忘れません。自分が苦労して未だにたどり着けなかったところが、最終的な結果が図になって出てきたのです。自分でソフトウェアをつくったことのある研究者が初めて見たときは、皆同じような印象を持ったことと思います。自分のやりたいことが1つのパッケージの中にほとんど全部入っている。そういう機能を持っています。当時、日本ではOS/2はNEC製のコンピュータだったため、計算はできてもグラフィックの部分に互換性がなく、ソースコードをもらい私がインターフェースを書き換えてNEC製PCのOS/2でグラフィックも出力できるようにしました。それとほぼ同時期にUNIX版にも移植され、世界的に広く使われるようになりました。
OS/2のときはまだ解析までできず、実験データを基に熱力学パラメータを抽出し、それをデータベース化して状態図を計算していました。UNIX版のThermo-Calcを研究室に導入してから解析にも使えるようになりました。状態図の計算だけでなく解析もできるソフトウェアはThermo-Calcだけであり、この分野の研究者にとっては必要不可欠なツールといえます。

Thermo-Calcの解析を基に
自然界にある物質と同等のものを人工的につくることに成功

状態図は直接最終的な材料に結びつくものではない基礎的な研究ですが、最先端の材料開発には欠かせません。しかし、いま公開されている状態図のデータベースだけでは計算できない場合があります。そういうものを計算できるような研究を材料物性情報学研究室で行っています。
その例の1つに、炭化ケイ素(SiC)というダイヤモンドとシリコンの中間的な性質をもつ半導体があります。自然界にはごく少量しかないため、炭素とシリコンを真空中に飛ばして合成するという方法でつくられていますが、あまり質のいいものができないという欠陥があります。質のいいものをつくるためには、溶けた状態からつくる必要がありますが、そのためには単純に炭素とシリコンの2つの成分からではつくれません。こうしたときにThermo-Calcを使って炭素とシリコンに第3、第4の元素を加えて計算したところある条件になったとき、非常に質の良いSiCがつくれることがわかりました。これによりSiCのかなり大きな結晶を人工的につくることができるようになりました。
このようにThermo-Calcを用いればいろいろな元素について状態図計算ができ、計算結果からどの成分をどの程度混ぜればいいだろうという見通しを立てることができるのです。

Thermo-Calcを使う際の落とし穴は
データベースとパラメータ

Thermo-Calcが生まれる以前、2成分、3成分を混ぜ合わせる際はまず実験をやり、その結果を解析して計算に必要なパラメータを抽出していました。その積み重ねで、いまでは実験を行わなくても10元素でも20元素でもかなりの精度で計算予測できるようになりました。これもThermo-Calcにデータベースシステムが備わっているからです。
Thermo-Calcを初めて見た時、完成度が非常に高く、いまでもその精度は非常に高いものがあります。それに加え、この20年間で初心者でも使いやすくなりました。しかし、教育という面から見ると、Thermo-Calcで計算するとはほとんど完璧な最終的な結果が図になって出てくるため、たとえ計算条件の設定などに間違いがあっても信用してしまうというきらいがあります。Thermo-Calcの計算自体が非常に安定しているため、現実にはほとんど間違いは起こりませんが、私はしばしば「Thermo-Calcの落とし穴」と言って注意を喚起しています。ただし、万が一間違っている場合でも、状態図を知っていれば計算が間違っていても“おかしい”と気づくので、状態図をよく勉強することはいまでも大切です。
同様に、企業などの実務としてThermo-Calcを使う場合注意しなければならないことは、データベースに何を使うかということです。使うデータベースで何が計算でき、何ができないのか、何が不足しているのかということを知った上で使わないと、誤った結果が出てしまいます。
かなり前のことですが、ある会社の人が多元系について平衡計算をする際、パラメータの入っていない成分で計算して結果を発表したことがありました。その元素についてのパラメータが入っていないということを知らないまま計算すると、誤った結果をすべて信用してしまいます。Thermo-Calcを使用する場合、実はThermo-Calcの問題ではなく、使っているデータベースが悪いということがあるのです。それというのも、Thermo-Calcが世界的な業界標準になったために「Thermo-Calcで計算した」と言えば信用してしまうからです。逆に言えば、それだけThermo-Calcの信用が高いのでしょう。
Thermo-Calcを使われる方は、いま多くは市販のデータベースを使っているので、それで何が計算でき、計算する際は何に注意が必要かを注意さえしていれば、非常にいい結果が得られるし、実際に役立つ結果が出ると思います。

研究者の領域にまで向上した
CTCのハイレベルな技術力

CTCとの出会いは、ある製鉄メーカーの研究所の方からThermo-Calcを導入したいという相談を受けたときです。当時は直接スウェーデンから輸入しなければならず、その方の知り合いがCTCに在籍されていて紹介されたことに始まります。その後CTCがThermo-Calcの日本での販売代理店になり、担当者が私のところへ利用方法について相談に来られたりしてお付き合いが始まりました。
CTCとの付き合いは20年ほどになりますが、大きく3期に分けられます。第1期は、CTCが販売先にThermo-Calcをインストールするだけで、ユーザーから質問があると私のところへ聞きに来られ、私がお答えするという時代でした。
第2期は、CTCの担当者がThermo-Calcを勉強されるようになり、Thermo-Calcについての知識を深めたため、販売先のユーザーからの問い合わせにもCTCで答えられるようになり、私の出番はなくなってきた時代です。そして第3期と言えるいまは、担当者ご自身がThermo-Calcを使って研究するレベルにまでになりました。Thermo-Calcを使うには熱力学の知識が必要であり、そうした知識を身に付けたハイレベルな技術力を持っている方がいるということがCTCの他社にない強みだと思います。

日常生活から宇宙開発まで
材料の進化が影で支える

いま、状態図研究の分野では、実験ができない材料について第一原理計算のような手法で解決しようという研究が進められています。第一原理計算はほとんど完成に近いところまでできていますが、まだはっきりしないところがあります。このような新しい計算手法の研究は大切ですが、一方、従来からの手法を地道に研究していくことも大切だと思います。日本の状態図研究は量的、質的にも世界のトップレベルにあります。これは日本に状態図の研究者が多いからです。これまでに蓄積してきた技術、ノウハウを活かしつつさらに発展させるためには、日本の状態図研究者がそれぞれ役割分担し、研究を深化させていくことが大切だと思っています。
状態図研究は、材料科学の基礎部分の研究であるため、最終製品にどう活かされているのか分かりづらいところがありますが、Thermo-Calcを使った初期の例に、製鉄メーカーの複合材料開発があります。これは2種類の合金を複合したものですが、表面は固い材料、内面は柔らかい材料にしたいとき、鉄では炭素の高い材料を表面に少し付けて内側は炭素を低いものにします。しかし、これを普通の状況で行うと表面の炭素が内面に入り込んでしまい、当初に考えていたものと異なる結果になってしまいます。しかし、熱力学から見ると、ある条件にすると炭素の高い部分はもっと高くなり、低い部分はもっと低くなることは分かっていました。ただ、なぜそうなるのかが分かりませんでした。ところがThermo-Calcを使って計算すると、A成分とB成分をつけて一定の条件になると炭素が高いところがなぜ高くなり、低いところがなぜ低くなるのかということが証明できました。
このように状態図の研究は表面的に輝かしいものではありませんが、その研究成果は、宇宙開発などにとどまらず、意外に私たちの身近な製品に活かされているのです。


インタビューを終えて │ 後 記 │Editor's notes
長谷部先生並びに九州工業大学大学院材料物性情報学研究室におかれましては、Thermo-Calcの技術的支援をいただき大変お世話になっています。
これまで弊社ウェブの訪問インタビューコーナーは、建設分野や原子力関連の記事が多かったですが、今回マテリアル分野のインタビュー記事が掲載でき、非常に良かったと思っています。
また、先生から直接、Thermo-Calcの背景や先生との関わり、研究室のご活動、企業への活用事例、今後の展望等、貴重なお話を伺え、私自身にとっても非常に有意義な時間でした。
現在、Thermo-Calcのライセンスは全世界で1500、日本で約200と、業界標準コードとして位置付けられていますが、今後も更に先生や九州工業大学大学院材料物性情報学研究室と協力関係を築き、Thermo-Calcや関連ツールの発展、状態図の研究を進めて行きたいと考えています。
長い間のインタビューをありがとうございました。 (聞き手:CTC武名)

大学・研究室概要 九州工業大学大学院
工学研究院
物質研究系材料開発部門
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