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アンテナの歴史と未来 寄稿 安達 三郎 氏

第2回:萌芽

6. 超短波通信の研究

図10:八木・宇田アンテナ

 1923年より東北大学では“電気を利用した通信法”と題した研究プロジェクトが立ち上がっていた。その先駆的な成果のひとつが1926年1月の帝国学士院紀事に発表された八木・宇田アンテナである。これは、給電されたダイポールの近傍に置かれた無給電ダイポールの反射作用と導波作用に関するもので、図10に示すように反射器と多数の導波器列を持つ極めて鋭い指向性を持つアンテナを考案した。


 1931年には4m波でこのアンテナを用いた新潟、佐渡島間の通信実験に成功した。また、1933年には酒田、飛島間の公衆無線回線用アンテナとして実用化され、第2次世界大戦中は米英のレーダ用アンテナとして使用された。また戦後は特にテレビの開始とともに現在にいたるまで受信アンテナとして広く世界中で使われている。

図11:岡部の分割陽極型マグネトロン(1927年)

 マグネトロンは1921年、英国のハルによって発明されたとされていたが、発振が微弱で実用に耐えるものではなかった。岡部はこのプロジェクト研究において、ハルのマグネトロンから出発して分割陽極型マグネトロン(図11)を発明した(1927)。これによって高出力の超短波、極超短波(1m~10cm)の安定した発振に成功したのは当時としては画期的な出来事であった。これは後に英国においてキャビティマグネトロンに発展し、米英のレーダ兵器を支えた。



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