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東京大学大学院 工学系研究科 システム量子工学専攻 吉村忍 教授 様マクロとミクロが相互に関連するシステム量子工学
高度なシミュレーション技術で社会に貢献

お話を伺った方

東京大学大学院工学系研究科
システム量子工学専攻 吉村教授
吉村 忍(よしむら しのぶ)教授

  • 工学博士
  • ADVENTUREプロジェクトリーダー

研究テーマ
  • 地球シミュレータ等による大規模計算力学シミュレーションと仮想実証試験
  • 知的マルチエージェントモデルに基づく次世代社会・環境シミュレータ
  • 生物メカニズムを模倣した知的人工物デザイン


システム量子工学? あまり聞きなれない言葉です。しかし、現代の複雑に絡み合った課題を解決するのに適したアプローチなのだそうです。吉村忍教授は、人間・人工物・自然複雑系の大規模高精度シミュレーションとシステムデザインに取り組んでおられます。今回は、吉村教授の研究課題の変遷と最近のトピックスを中心にお話を伺いました。

システム量子工学とは

システム量子工学では、機械、電気、土木といった専門分野を極めるという従来からのアプローチに対し、さまざまな課題をシステムとして総合的に見ていくという考え方を基本に据えています。前身は「原子力工学」です。原子力を扱うためには数多くの要素技術が必要ですが、それらの単純な寄せ集めではありません。原子力をシステムとして見たときに、それらの要素技術をどのように組み入れていくべきか、というシステム志向の考え方がまず必要とされます。また、放射線や原子・分子といったミクロなものから巨大エネルギーシステムといったマクロなものまで対象としており、ミクロとマクロが相互に関連する中でできあがるシステムを広いスコープで見渡してきたというのも特徴です。そうしたアプローチを原子力だけでなく、複雑化する多くの現代的な課題に応用しようということで「システム量子工学」となったのです。

東大の専攻の名前が、原子力工学からシステム量子工学に変わってから、もう10年以上たちます。私たちの共通認識は、個別の要素技術を研究するとしても、そのベースにはシステム志向があり、1つ1つの要素技術はもっと大きな広がりの中に埋め込まれていることを忘れないようにしようということです。

ADVENTUREプロジェクト――汎用計算力学システムの開発

私ももともとは原子力発電所の安全性や構造健全性の研究を行っていたのですが、扱う対象が複雑で、簡単に実験ができない問題ばかりなので、計算力学という手法を培ってきました。最初に取り組んだ核融合炉の破壊現象では、電磁気学的な力で破壊が起こるため、はじめからマルチフィジックス、連成現象をターゲットでした。そのためシミュレーションソフトウェアは、自分たちでアルゴリズムを開発し、プログラムを書いて、実際の計算をするというアプローチでこれまでの研究を行ってきました。

1997年から手がけているADVENTUREプロジェクトは、まさにそうした中で作り上げてきたものです。2002年にいったん国のプロジェクトは終了しましたが、このプロジェクトの前後ではずいぶんと状況が変わりました。以前は、ソルバーやメッシュ生成プログラム、解析結果を可視化するためのポストプログラムなどを、個別に企業などと共同研究して、その成果をローカルに使用していました。いわば個別の研究を個別のチャネルを通して世に出していたわけです。

ところが1995年に科学技術基本法が制定され、1997年に日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業の中に計算科学という分野が取り上げられることになりました。我々の提案も採択され、ソフトウェア開発としては破格の年間1億円、5年間で5億円という研究費がつきました。そこで外部のメンバーも集めて、ソルバーをはじめメッシュ生成、可視化、並列化アルゴリズム、それらを統合するためのデータマネジメントと、一気に5年間でプログラムを作りました。できあがったのが今のADVENTUREです。現在、Webからダウンロードできるようになっていますが、登録ユーザーは4200人近く、またダウンロードされたモジュール数は23000本に上り、8割が産業界、残りが大学や研究機関の利用です。海外ユーザーもかなりいます。オープンソースソフトウェアとして、大学と産業界のボランティアで継続的にソースのメンテナンスを行っています。

図1:ADVENTUREシステムのシステム構成 図1:ADVENTUREシステムのモジュール構造

知的マルチエージェント交通流シミュレータ

MATES:Multi-Agent based Traffic and Environment Simulator

1999年に私は環境学専攻に移籍しました。そのとき改めて「環境」というテーマで何を研究するべきかを考えたすえ、環境の本質的な難しさは、いろいろな現象が複雑に関連していてその間をうまく整理できない、個人の行動がどのように全体に影響しているかも見えない、そうした中で起こっている問題だと考えて、それなら個人行動とその集積結果としての環境の間を結びつけるようなシミュレーションをやろうと思い、いくつか研究を立ち上げました。その1つが交通の問題です。

自動車の燃費が向上すればエネルギー消費は減りますが、台数が増えればトータルのエネルギー消費量は増えてしまいます。車の性能をよくするというアプローチだけでは本質的な解決にならないのです。人が移動したいという要求を満たしたうえで、トータルのエネルギー消費を減らすにはどうしたらよいか、そういうことをコンピュータの中に仮想環境として再現して、いろいろなケーススタディをしながら、解を見つけ出していく。例えば公共交通を導入すれば、環境負荷は個人が車に乗るよりは減るでしょう。ただそのときに、公共交通と自動車が相互作用して渋滞が発生するとか、公共交通をどこに導入すればユーザーの欲求を満たすことができるのかとか、細かい具体的な話が起こります。そうしたことをコンピュータ上で再現するシミュレーションを研究しようと思って開発したのが知的マルチエージェントをベースにしたMATESです。

MATESは、社会現象を扱えるシミュレータとして、ITS、ETCといった技術の評価、実証ができます。私たちは、MATESを使って岡山市で交通シミュレーションを行いました。岡山市では路面電車を延伸しようという案があるのですが、これだけ車が増えたところに路面電車が入ると、かえって交通が阻害されるのではないかと懸念されていました。そこで2001年に岡山市が車両を通行止めにして、路面電車がもし通ったらという社会実験を行いました。私たちはその実験と同じような条件でMATESでシミュレーションを行い、主要道路の交通量の変化を現象として再現できました。

図2:MATESによる岡山市の交通シミュレーション 図2:MATESによる岡山市の交通シミュレーション

MATESでは、路面電車や車、歩行者はそれぞれの判断基準を持って自律的に動くエージェントとなります。岡山市の3キロ四方の町をMATESに再現して、その中に、車3万台、歩行者9万人のエージェントを放ちます。エージェントは周囲の環境を、自分自身がもつセンサーで知覚し、判断して、ある動作を起こすのです。動作した結果、環境に働きかける。自動車でいえば、「前の車が止まった」というのが環境の変化、それにあわせて自分がブレーキを踏んだり、車線変更したりという行動を起こします。自分の好みに応じて、ある人は黄色になっても飛ばすし、ある人はスピードを落とす。それにより周りが影響を受けるわけです

日本では社会現象のシミュレーションは実証するのが難しいのですが、岡山市の場合は、交通信号のパターンや道路の交通量などは市民団体の協力を得て情報を提供してもらいました。私たちはシミュレーションをして、街づくりにアイデアを出すという関係で進めています。このプロジェクトは現在も続いています。

MATESも、今後はADVENTUREと同じくオープンソースソフトウェアにするつもりです。多くの人に使ってもらいながら実証・検証を進めていきたいと考えています。

計算力学をベースに新しい方向へ

環境学専攻からシステム量子工学専攻に戻ったのは2年前です。今後は、計算力学をベースにした物理系の研究と、社会系の研究と二本立てでいきたいと考えています。環境や社会の問題は、シミュレーションの中では「風が吹けば桶屋が儲かる」的な問題を、社会のいろいろなつながりを関連づけてまがりなりにも「定量的」に見せることができる、それにより、個人個人がこういうことをやってはいけないとか、こういうことが関連しているというのを実感することができるのです。

一方、ADVENTUREをベースにした研究で社会的なニーズが高まっているのは、地震の問題です。こちらはADVENTUREを使ってかなりいろいろなことができるようになってきました。さらにもう一段の新しい研究としてはフルスケールの連成解析があります。これもアルゴリズムからの開発になります。原子炉の耐震計算では、CTCと一緒に研究しました。結果の可視化もいろいろなことができるようになり、2億自由度まであるダイナミックな計算ではかなりリアリスティックな絵を見ることができます。ADVENTUREの最新の成果は、ウォークスルー技術です。これはマスターの学生の研究成果で、開発した学生は計算力学講演会のフェロー賞(優秀学生賞)を受賞しました。

図3:ADVENTUREによる地震力を受ける原子炉容器の応力分布と5000倍に拡大した変形 図3:ADVENTUREによる地震力を受ける原子炉容器の応力分布と5000倍に拡大した変形

また、昆虫の羽ばたき飛行の解明にも取り組んでいます。そのメカニズムは定性的にはわかっているのですが、定量的にはわかっていません。羽ばたき飛行が解明されると、ホバリングで空中に静止できたり、狭いところで旋回できたりする物体が設計できるようになるかもしれません。そうすれば、狭いところで災害の状況をモニタリングするような装置を開発できるかもしれないのです。羽ばたき飛行を計算力学シミュレーションで完全に再現できるかというのは、計算力学のグランドチャレンジ問題なので、研究室としては今後もぜひ取り組んでいきたいと思います。

図4:羽ばたき飛行時の羽の弾性変形と周囲にできる渦 図4:羽ばたき飛行時の羽の弾性変形と周囲にできる渦

これからの研究の方向性については、計算力学だけでは社会に対するビジョンがない(笑)と思っています。パソコンの性能がよければいいのか? 車が早ければいいのか? そうしたことだけにしか価値を置かないという積み重ねによって、人間の生存すらおびやかされるようになってきたわけです。個人個人が物質的な豊かさを追求して、結果的にみると全体では過剰な資源を浪費するといったことに関して、もっと社会全体の調和を図りながら、個人で持つものをみんなでパブリックに持つ、シェアする、そういったことをうまくデザインしながら持続できる形でいかにハッピーな生活をしていくかということを考える。そういう中で、計算力学やシミュレーション研究がどういう役割を果たしうるのかということを考えたいと思っています。

ブラックボックスからホワイトボックスへ

私自身は、あるコンセプトに基づいてこういう技術が必要だ、おもしろいと思えば、そして学生もそれに納得してくれれば、国や産業界が研究費用を出してくれるかどうかは関係なく作ってしまうのです。しかしその技術を実際に社会に展開しようとなると、いろいろな人たちと協調していくことが大事になります。完全に技術ができ上がってから、「これを使え」というのではなく、もう少し手前の段階からいっしょに作り上げていくことが必要です。ブラックボックスに対してホワイトボックスという考え方です。

いま技術がすべてブラックボックス化してしまい、専門家でないと評価できないし、その専門家でさえ一人では全部を語れないほどです。ものすごく複雑化してしまっている。その中で何かの意思決定をするとなると、どうしても感覚的になってしまいます。しかし長い目で見るときちんと筋道をたてた説明ができること、細部はわからなくても信頼できるか技術かどうかがわかることは重要で、そういう意味ではホワイトボックス化はぜひ必要です。

ADVENTUREをオープンソースにしているのも、MATESをオープンソースにしようとしているのも、計算結果だけで判断するのではなく、どうぞ中を見てくださいということです。こういう使い方をしたときに、こういう結果がでてくるのは妥当だというコンセンサスが得られる、あるいは、やる気になれば誰にでもそれが保証されるというものであれば、それが信頼感、安心感につながると思うのです。第三者が評価できるとか、一般の人も参加できるという感覚をもっていないと、ただシミュレーション技術をブラックボックス的に高度にしていって、アルゴリズムだけを競っても研究分野が栄えているようで、実は長期的に衰退に向っているという危険性もあると思います。

インタビューを終えて │ 後 記 │Editor's notes
私たちソフトウェア会社も、ブラックボックス化については反省点があります。今後、ホワイトボックス化をどうやって行っていくかについては課題があると思います。そうした面で吉村教授には今後も引き続いてご指導をいただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
また、地震は、地震学、地震工学という面と、社会工学の面が非常に密接に結びついています。総合的な見方でとらえないと、それを乗り越えるのは難しいと思います。システム量子工学というアプローチを私たちも参考にしていきたいと思います。(聞き手:CTC亀岡)

大学・研究室概要 東京大学大学院 工学系研究科 システム量子工学専攻 
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